カンタータ編プログラム
ラ・カンタテリーア/イタリア・カンタータ・シリーズ第2回
ジャコモ・カリッシミ生誕400年記念
17世紀前半ローマのカンタータ
(2005.7.5.同仁教会)

第1部
パオロ・クァリアーティ
1) <Io vo cantar mai sempre 私はいつまでも歌いたい>

ドメニコ・マッツォッキ
2) <Spogle, che fosti un tempo カルタゴよ、お前は優しく愛しかった>

ドメニコ・クリヴェッラーティ
3) <Amore il mio tormento 愛の神よ、戦に駆り立て平穏を与えぬものよ>

ヴィルジーリオ・マッツォッキ
4) <Sdegno campione audace 怒りよ、戦いの裁きを下す勇敢な勝利者よ>

ヨハン・ヒエローニムス・カプスベルガー
5) <Passacaglia パッサカリア> テオルボ・ソロ

オラーツィオ・ミーキ
6) <Su l'oriente 東の空に朝焼けは微笑み>

ルイージ・ロッシ
7) <Fanciulla son io 私は愛を知らない乙女>
8) <Tutto cinto di ferro 鎧と武器を身にまとった>

♪♪♪  休憩(15分)♪♪♪

第2部
ジャコモ・カリッシミ
9) <Vittoria, Vittoria mio core 勝利だ、我が心よ>
10) <Piangete ohime', piangete おお、泣きなさい>
11) <Nella piu' verde eta' 青春時代の最も活き活きとした頃には>
12) <A pie' d'un vero ある日緑なす月桂樹の元で>

アンコール
ジャコモ・カリッシミ<Rimanti in pace 安らかに眠れ>

≪ご挨拶≫

 本日はカンタテリーア(「カンタータ屋」という意の造語)にご来店(場)いただき、誠にありがとうございます。2003年1月の第1回目コンサート以来、しばらくぶりの開店です。
 前回は、カンタータという分野が誕生した17世紀初期のヴェネツィアのカンタータを演奏いたしました。今年は、ローマで活躍したジャコモ・カリッシミの生誕400年にあたることから、17世紀前半のローマのカンタータを集め、カリッシミまでの流れを追っていきたいと思います。
 当時ローマでは、高位聖職者の宮殿に多くの音楽家が出入りし、競って音楽会が催されていました。また、多くの優秀な歌手が存在し、そのおかげで室内声楽曲は大きく発展しました。
 今年は奇しくもローマ法王ヨハネ・パオロ2世が没し、新法王ベネデット16世が誕生し、世界中がローマに注目した年でもありました。カトリックが国教でない私たち日本人が、現在とは大きく違うであろうその当時の法王や周辺の聖職者の生活を伺い知ることは容易な事ではありませんが、バロック時代のローマで栄えた今回のローマのカンタータを通して、少しでもその当時のローマの音楽界を垣間見ていただければ幸いです。
                             小池 智子・櫻田 亮


≪17世紀前半のローマのカンタータ≫

 17世紀初期にヴェネツィアで誕生したカンタータが、17世紀を通じてその発展の地となったのはローマであった。その背景には、枢機卿などの高位聖職者や亡命王女などの音楽や芸術の後援者とローマの優秀な歌手達の存在があった。
 17世紀初期のローマは、作曲家や演奏者を援助する力と富を持った高位聖職者の館で、オペラや室内楽が発展していた。自ら作詩作曲、またオペラの台本を手がける聖職者もいた。その中でも代表的な存在は、1623年にウルバヌス8世を輩出したバルベリーニ家である。ウルバヌス8世となったマッフェオ・バリベリーニ(1568-1644/在位1623-44)は、二人の甥フランチェスコ(1597-1679)とアントーニオ(1607-71)を枢機卿に任じ、熱狂的音楽の後援者であった彼らの館はローマの文化の中心となった。マッフェオ自身も詩を作り、それらにD.マッツォッキやJ.H.カプスベルガーなどが曲を付けた。またフランチェスコは、1632 年の謝肉祭に宮殿内にオペラ劇場を作るなど、ローマでのオペラの土台を作った。ウルベヌス8世の死後、バリベリーニ家の没落後もコロンナ、パシフィーリ、オットボーニなどの枢機卿やルスポーリ公爵、またローマに亡命したスェーデンのクリスティーナ女王(1626-89)などのサロンにおいて、聖俗双方の流行分野すべての音楽が競って演奏された。
 特に、1654年に王位を放棄したクリスティーナ女王は1655年から1689年に亡くなるまでローマに住み、彼女のサロンはローマの芸術の中核をなしていた。それまで教皇の影響下にある枢機卿達の元にあったローマの音楽生活は、4人の教皇の死がローマに混乱をもたらすような時も彼女のおかげでほとんど影響を受けなかった。彼女のサロンでは、G.カリッシミ(1605-1674)、A.ストラデッラ(1639-82)、A.コレッリ(1653-1713)など当時の主だった作曲家達が活動しており、若き日のA.スカルラッティ(1660-1725)は彼女の宮廷楽長を務めた。
 また、当時教皇礼拝堂や市内の教会の聖歌隊には、厳しい歌唱訓練によって優れた歌手が多く存在し、彼らは聖と俗の区別なく活動していた。その訓練については、A.A.ボンテンピの著書「音楽の歴史(1695)」に次のように記されている。『ローマの学校は、経験を積むために難しく厄介な歌を歌うこと、トリルの
練習、装飾的なパッセージの実習、歌詞の研究、声楽実習と歌唱法の復習を、生徒たちに午前中各1時間ずつ課した。これらの課程はウェストにも額にもまつ毛にも口にも見苦しい動きが少しでも出ないように鏡の前で、教師の監督下で行われた。午後は、理論を半時間、定旋律に基づいて対位旋律を作ることを半時間、記譜された対位法書法を1時間、さらに歌詞研究に再度1時間を費やし、残りの時間は自分の好みでチェンバロの練習や、聖歌やモテット、歌曲などの声楽曲の作曲に充てられた。これらは外出しない生徒達の通常の訓練であった。外出日にはしばしばモンテ・マリオ方面のポルタ・アンジェリカ(天使の門)へ歌いに行き、そこでエコーを聴き自分の声を研究した。また、教会の礼拝で歌い、ウルバヌス8世の統治の下、活躍している多くの歌手の歌唱法を観察した。そして、帰校後学外学習の成果について、教師とともに議論を交わした。それらの訓練は、ローマにおいてヴァチカンの聖ピエトロ大聖堂の楽長であり高名な教師であるヴィルジーリオ・マッツォッキによって生み出され、この技術に新しい光を照らした。』
 このような状況の中で作曲された室内カンタータは広く普及し、ローマ以外の作曲家の手本となった。しかし、ヴェネツィアのカンタータの多くが出版譜として残されている一方、ローマの作品には日付が入っていないうえ、別人の手による筆写譜が複数残されている事が多いために、作曲年代や作曲家本人の手稿譜を正確に調べることは大変難しい。
 17世紀中頃までのカンタータは、一定の形式を表すものではなかった。主に小規模なアリア(歌唱)からなる「アリエッタ・コルタ(短い小アリア)」と語りを主とするレチタティーヴォ(叙唱)と様々な様式のアリアが交互に現れる「アリア・ディ・ピゥ・パルティ(多部分から成るアリア)」の二つのタイプに分けられる。「アリエッタ・コルタ」は初期のカンタータでは多く見られ、同じバスと歌の旋律が1番2番と繰り返される有節形式と同じバスに歌唱部分が自由に変化する変奏有節形式(第3、7曲)が大部分を占める。また、チャッコーナ(第4曲に一部使用)など一定のバス進行を持つ作品や、後の多くのカンタータのアリアに現れる「ダ・カーポ・アリア(ABA形式)」(第9曲)など、様々な音楽形式を含んでいる。一方の「アリア・ディ・ピゥ・パルティ」は、小品(第1、4、6、10曲)からカッチーニやモンテヴェルディの「レチタール・カンタンド」の流れを組む長いレチタティーヴォと短いアリアを含む大規模な作品(第8、11曲)まであり、時代が進むにつれレチタティーヴォとアリアの重要性が変化していく。叙情的もしくはいくらか劇的な詩を持ったレチタティーヴォとアリアの両方で構成される「アリア・ディ・ピゥ・パルティ」は、17世紀中頃のカンタータの最も一般的なタイプとナリ、バロック後期になるとスカルラッティやヴィヴァルディのカンタータに見られるように、短いレチタティーヴォとアリア(ダ・カーポ)が増え、このような様式の作品が以後「カンタータ」と呼ばれるようになる。
 

≪ジャコモ・カリッシミの生涯とそのカンタータ≫

 1605年ローマ近郊で職人の末子として生まれたカリッシミは、ティヴォーリ大聖堂の合唱団員、同聖堂のオルガニスト、アッシジの聖ルフィーノ大聖堂の楽長などを務めた後、1629年にローマにある世界で最も重要なイエズス会修道士の学校のひとつ、コッレージョ・ジェルマニコの楽長に任命され、生涯この地位に留まる。ヴェネツィアの聖マルコ大聖堂でモンテヴェルディの後継者や、オランダのハプスブルグ家の宮廷楽長また神聖ローマ皇帝に仕える話などを断っていることからも、彼がこの学校で学生の音楽教育や学校付属の聖アッポリナーレ教会での音楽活動などに満足していたと思われる。また1656年にはクリスティーナ女王から宮廷楽長の称号を授けられた。
 カリッシミは生前からカンタータ作曲家としての名声を欲しいままにし、その発展に大きく貢献した。それは彼の最も重要な先達であるルイージ・ロッシに直接的な影響を受け、145曲のカンタータには、ロッシの作品同様「カンタータ」という名の下、主に4つの形式が隠されている。最も一般的なタイプは、レチタティーヴォとアリアが自由に継起する「アリア・ディ・ピゥ・パルティ」(第11、12曲)であり、アリアの部分はダ・カーポ形式やロンド形式、有節形式をとることがある。他の3つのタイプは、アリア
(第9曲)、有節変奏、アリオーゾ(第10曲前半)である。それらの書法は、彼の宗教曲と同様に単純でシラビックであり、主として全音階的な音程と分散された三和音であるが、時折歌詞が霊感を与えるところでは、装飾、跳躍などヴィルトゥオーゾ的技巧を用い、特に嘆きや苦しみの表現には特別な和声的効果を有効に使用した。当時賞賛されたこうした技巧や効果は、当時の宮廷や豪邸の舞台で演奏された音楽の華麗さと哀切さを彷彿とさせるようである。
 通奏低音だけを伴い様々な形式を示すカリッシミの独唱カンタータは、頂点を極めこのようなカンタータの発展は一段階の終わりを告げた。その後レチタティーヴォとアリアの分割が進み、アリアがダ・カーポ形式を取る傾向が強まっていった。
 

≪曲目解説≫
 
1) パオロ・クァリアーティ (1555年頃ヴェネツィア郊外キオッジャ - 1628年ローマ)
<Io vo cantar mai sempre 私はいつまでも歌っていたい>
キオッジャの貴族出身であるクァリアーティは、1574年より没するまでローマのサンタ・マリア・マッジョーレ教会のオルガニストを務めた他、枢機卿ファルネーゼやルドヴィージ家に仕え、枢機卿アレッサンドロ・ルドヴィージがローマ教皇グレゴリウス15世に就任した1521年には、最高記録官件教皇私室長官に任命されている。この曲が収められている作品集《調和のとれた宇宙》は、1623年にルドヴィージ家のニコロ・ルドヴィージと作曲家ジェズアルドの娘イザベッラの婚礼の際に作曲され、いくつかのヴァイオリン付き含む多くの独唱曲と二重唱曲が収められている。この作品と他の数曲は1608年の<4声のマドリガーレ>から編曲された。彼がキオッジャにいた頃、ヴェネツィアの書法から影響を受けたと思われるヴァイオリン付きのコンチェルタート形式は、一環して主に全音階的明瞭な和音を用い、簡素かつ優雅である。この作品は、「カンタータ」とは題されていないが、このように3拍子のアリエッタと4拍子のレチタティーヴォが交互に現れる形は、当時のカンタータの中に多く見られる。

2) ドメニコ・マッツォッキ (チヴィタ・カステッラーナ - 1592年受洗 - 1665年ローマ)
<Spoglie, che fosti un tempo カルタゴよ、お前はかつて優しく愛しかった>
故郷の神学校で弟ヴィルジーリオと共に学び、1619年には司祭に任命されたが、1621年に枢機卿イッポーリト・アルドブランティーニに音楽家として仕え始める。この作品が収められる《宗教的・論理的な音楽1640》は、枢機卿の姪オリンピア・アルドブランディーニ・ボルゲーゼに献呈された。また、枢機卿A.バルベリーニの叔父教皇ウルバヌス8世は後援者であり、聖職者として同僚でもあった。彼の現存する唯一のオペラ《アドネスの鎖》は、1626年にバルベリーニ劇場で上演された。彼のこの最後の室内声楽曲集には、1声から4声のレチタティーヴォ、有節変奏など多様な作品が収められている。ローマの詩人ウェルギリウスの叙事詩《アエネイス》から枢機卿ロベルト・ウバルディーノが作詩しダイドーの嘆きを描いたこの作品は、4節から成る「ロマネスカ」として書かれている。

3) ドメニコ・クリヴェッラーティ (ヴィテルボ生1628年頃活躍)
<Amore il mio tormento 愛の神よ、戦に駆り立て平穏を与えぬものよ>
ヴィテルボに住むアマチュアの作曲家であったと思われ、本作品が収められている1声から3声と通奏低音のための《様々なカンタータ集1628》によってのみ知られる。収められている21曲中、1620年代のカンタータと類似する曲は、この作品のようなマドリガーレ風で変奏有節形式の2曲のみで、ほとんどが単純な有節形式の作品である。

4) ヴィルジーリオ・マッツォッキ (チヴィタ・カステッラーナ生 - 1597年受洗 - 1646年チヴィタ・カステッラーナ)
<Sdegno campione audace 怒りよ、戦いの裁きを下す勇敢な勝利者よ>
ドメニコ・マッツォッキの弟で、ローマの複数の教会の楽長を務めた後、1629年から没するまで聖ピエトロ教会のジュリア礼拝堂の楽長を務めた。聖歌隊員に対して厳しい音楽訓練を課し、聖歌隊のレベルを上げた優秀な教師でもあった。レチタティーヴォとチャッコーナが交互に現れるこの作品は、現在イタリア国内の図書館に複数の筆写譜が残っている事からも当時広く歌われたものと思われる。ちなみに本作品の作詞をしたジュリオ・ロスピリオージ(1600-69)は、聖職者であり1667年にはクレメンス9世として教皇に就いた人物であったが、バルベリーニ家のオペラの台本作家としても活躍し、D.マッツォッキやL.ロッシらがそれらに作曲した。

6) オラーツィオ・ミーキ (1594年か95年カゼルタ近郊アリーフェ - 1641年ローマ)  
<Su lユoriente 東の空に朝焼けは微笑み>
ハープ奏者としても名高く「オラーツィオ・デル・アルパ(ハープの)」とも呼ばれた。枢機卿モンタルトや枢機卿マウリーツィに仕え、ベルナルディーノ・スパーダ、A.バルベリーニなどの宮廷で活躍した。約60曲現存する彼の作品の多くは教会カンタータであるが、本作品のように小品ながらアリアとレチタティーヴォの部分を含む様式で書かれた室内カンタータは、L.ロッシや他の後輩達に影響を与えた。

ルイージ・ロッシ (1597年頃トッレ・マッジョーレ - 1653年ローマ)
7)<Fancuilla son io 私は愛を知らない乙女>
8)<Tutto cinto di ferro 鎧と武器を身にまとった(Lo sdegno smargiasso おおげさな軽蔑)>
ナポリで音楽の勉強をした後ローマに移り、サン・ルイージ・ディ・フランチェージ教会のオルガニストを生涯に渡って務めた。また、ボルゲーゼ家に仕えた後、枢機卿A.バルベリーニをパトロンとした。彼はフランスでも活動したり、彼の作品のいくつかはパリやロッテルダムで出版されるなど、彼の作品はイタリア以外の国に影響を与えた。彼は室内カンタータではローマ屈指の作曲家であり、その筆写譜は他の作曲家のそれより多く、約300曲残されている。それらの多くは<私は愛を知らない乙女>のような明快な形式の「アリエッタ・コルタ」で、この作品はそれぞれAとBの部分が変奏する形で書かれている。このようなタイプの変奏有節形式は、カンタータとしてロッシによって耕された。
一方、「アリエ・ディ・ピゥ・パルティ」である<鎧と武器を身にまとった>には、初期の「レチタール・カンタンド」を思わせる長いレチタティーヴォと器楽の小さいリトルネッロを含んだアリオーゾと最終部にラメント音型のテトラコルド(下降形の4音音階)のアリアが含まれる。「アリエ・ディ・ピゥ・パルティ」は彼の作品の中で5分の1を占めるにすぎないが、後のカンタータの最も一般的なタイプとなる。

ジャコモ・カリッシミ(1605年ローマ近郊マリーニ生 - 1674年1月12日ローマ没)            
9) <Vittoria, Vittoria mio core 勝利だ、我が心よ>
10)<Piangete ohimeユ, piangete おお、泣きなさい>
11)<Nella piuユ verde etaユ 青春時代の最も活き活きとした頃には>
12)<A pieユ dユun vero ある日緑なす月桂樹の元で(I Filosofi 哲学者)>
<勝利だ、我が心よ>は、イタリア古典歌曲集に収められ今世紀まで歌い継がれている作品であるが、現在モデナとボローニャ、ローマ、ナポリの4カ所の図書館に別人の手による筆写譜が残されている。古典歌曲集では2番まで歌詞が付けられているが、モデナとボローニャの楽譜には1番のみ、ナポリの楽譜は3番まで歌詞が書かれている。これらの3つの楽譜がニ長調であるのに対して、残るローマの楽譜はハ長調で書かれているうえ、3ページ中最後のページが筆写されていないため、この楽譜に3番まで歌詞があったのか、あるいはどちらの調が原調なのかを特定するのは難しい。本日は、モデナとボローニャの楽譜に基づいて、ニ長調で1番のみの演奏とする。
<おお、泣きなさい>は、アリアとレチタティーヴォの中間的な性格のアリオーゾと4拍子と3拍子のふたつのアリアを含む3部形式で、2節の歌詞を持つ。
技巧豊かなアリオーゾと3拍子のアリアが交互に現れるリトルネット付きの大規模な作品である<青春時代の最も活き活きとした頃には>の中に、カリッシミは“scherzi 戯れ”“lusingato 虜になった“ “bearla 彼女を崇める”“canto 歌”“stille しずく” “celebrar 讃える”“escalmoユ 叫ぶ”“fior 花”などの言葉にメリスマや跳躍音型を用いたり、 “lacrimar 涙を流す” “morto死ぬ”“tormentarne 苦しめる”などには嘆きや悲しみを表現するために和声的効果を利用している。また、ヴァイオリンが受け持つリトルネッロは、エコー的役割を持っている。なお補作ながら、モテット<O quam pulcra es おお、あなたはなんと美しいことか>にもこの作品とほとんど同じ旋律を使用している。
二人の古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスとデモクリトスが愛について議論を交わす<ある日緑なす月桂樹の元で(哲学者)>では、“piangere 嘆く”“ridere笑う”“fuggi逃げる”“mori死ぬ”“taci黙る”“prega祈る”“tuo desirあなたの願い”“tuo ferita あなたの傷付いた”のような言葉で二つの声部がシーソーのように戯れている。

                                      
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# by carissimi | 2005-07-06 22:14 | カリッシミ生誕400周年
ジャコモ・カリッシミ生誕400周年記念
*カンタータ編
"17世紀前半のローマのカンタータ"

日時:2005年7月5日(火)18:30開場 19:00開演
場所:同仁キリスト教会(地下鉄有楽町線護国寺下車6出口より徒歩5分)

出演:ラ・カンタテリーア
小池智子(ソプラノ)、櫻田亮(テノール)、芝崎久美子(チェンバロ)、櫻田亨(テオルボ)、伊左治道生・星野麗(バロック・ヴァイオリン)

曲目:P.クアリアーティ "私はいつまでも歌っていたい"
D.クリヴェッラーティ "愛の神よ、戦に駆り立て平穏を与えぬものよ"
D.マッツォッキ "カルタゴよ、おまえはかつては優しく愛しいかった"
V.マッツォッキ "怒りよ、戦いの裁きを下す勇敢な勝利者よ"
L.ロッシ "私は愛を知らない乙女" "鎧と武器を身にまとった"
G.カリッシミ "勝利だ、我が心" "おお、今はただ泣きたまえ" "青春の真っ盛りに" "緑なす月桂樹の下に"
その他


*オラトリオ編

日時:2005年7月22日(金)18:30開場 19:00開演 
場所:東京カテドラル聖マリア教会(有楽町線護国寺駅・江戸川橋駅徒歩10分、JR目白駅から新宿西口行きバス10分「椿山荘前」下車)

出演:ジャンルーカ・カプアーノ(指揮&オルガン)、長田 晶・小池智子(ソプラノ)、穴澤 ゆう子・弥勒 忠史(アルト)、櫻田 亮・長尾 譲(テノール)、萩原 潤・小田川 哲也(バス)、益田 弥生、伊左治 道生(バロック・ヴァイオリン)、西澤 央子(バロック・チェロ)、西澤 誠治(ヴィオローネ)

演目:G.カリッシミ作曲、オラトリオ<エフタ><ヨナ> モテット<諸国の民に示せ><私の心よ、竪琴に合わせて奮い立て>

助成:野村国際文化財団、財団法人朝日新聞文化財団

入場料:7月5日・前売3,500円、当日4,000円
7月22日・前売4,500円、当日5,000円
両日セット券 7,000円(アルケミスタのみの扱い)

問い合わせ・チケット取り扱い: アルケミスタ tel: 03-3901-1573 fax: 03-3901-1578
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# by carissimi | 2005-06-10 10:13 | カリッシミ生誕400周年
出演者変更のお知らせ
今日は、出演者の変更をお知らせしなければなりません。
カンタータ編のリュート奏者の竹内太郎さんが都合により櫻田亨さんに代わりました。チラシが出来上がった後の変更になってしまいましたが、何卒ご了承下さい。

名前を見て「おやっ」と思われた方もいらっしゃると思いますが、主人がテノールの「櫻田亮(まこと)」で、こちらはリュートの「櫻田亨(とおる)」さん、と名前が大変似ています。主人は良く「リュートも弾かれるんですか?」と聞かれますし、亨さんは「バッハも歌われるんですか?」と聞かれるそうです。未だ共演したことが無く、日頃から「名前を良く間違えられるから一度ご一緒すればいいのでは」と思っていたので、今回はちょうどいい機会となりました。
この二人、少なからずご縁はあります。亨さんの奥様と主人は、芸大時代の同級生なのです。そんなこんなでせっかくだから「とおる&まこと」なんてドゥオを組んだらどうでしょう???でも、なんだか若手芸人みたいな名前になっちゃいますね。
とにかくこの「ドゥオ櫻田」の演奏をお楽しみに!
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# by carissimi | 2005-06-05 08:29 | カリッシミ生誕400周年
カンタータ編 プログラム
*カンタータ編
「17世紀前半ローマのカンタータ」

1) パオロ・クァリアーティ(1555? - 1628) 
"Io vo cantar mai sempre 私はいつまでも歌っていたい"

2) ドメニコ・マッツォッキ (1592 -1665)
"Spoglie, che fosti un tempo カルタゴよ、お前はかつて優しく愛しかった"

3) ドメニコ・クリヴェッラーティ (1628頃活躍)
"Amore il mio tormento 愛の神よ、戦に駆り立て平穏を与えぬものよ"

4) ヴィルジーリオ・マッツォッキ (1597 - 1646)
"Sdegno campione audace 怒りよ、戦の裁きを下す勇敢な勝利者よ"

Tiorbo solo

5) オラーツィオ・ミーキ (c.1594-1641)
"Su l'oriente 東の空に朝焼けは微笑み"

6) ルイージ・ロッシ (1597? -1653)
"Fanciulla son io 私は愛を知らない乙女"
"Tutto cinto di ferro 鎧と武器を身にまとった"

7) ジャコモ・カリッシミ (1605 - 1674)
"Vittoria, Vittoria mio core 勝利だ、我が心よ"
"Piangete ohime', piangete 泣きなさい、おお、泣きなさい"

Cembalo solo

"Nella piu' verde eta' 青春時代の最も生き生きとした頃には"
"A pie' d'un vero ある日緑なす月桂樹の元で"



*オラトリオ編

ジュコモ・カリッシミ作曲

1. モテット"Annunciate Gentes"「諸国の民に示せ」1675年

2. オラトリオ "Jephte"「エフタ」1650年以前

3. モテット"Exurge cor meum"「私の心よ、竪琴に合わせて奮い立て」1670年

4. オラトリオ"Jonas"「ヨナ」
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# by carissimi | 2005-05-27 18:38 | カリッシミ生誕400周年
大収穫!
この2,3日は30度近い気温で、まったくの夏日です。こちらの夏は、湿気の多い日本に比べたら過ごしやすいかもしれませんが、陽射しの強さはたまりません。特に午後になってからの西日の強さには、本当に体がまいってしまいます。ボローニャの我が家は北西角に面しているのですが、ここを借りる際に大家さんに「午後になったら西側の雨戸を閉めてね」と言われました。その時は、どうしてか良く分からなかったのですが、午後強い西日が家に入ってくると、家具が傷むし、家に熱気がこもって夜家の中が暑くなってしまうからなのでした。日本は陽が良く差し込む東南角地の家が好まれますが、イタリアではなるべく家に陽が入らないような西南角地が好まれます。そして、実際こういう夏を体験してみて、なぜこの国の人たちがお昼寝を習慣にしているのか良く分かりました。この強い陽射しを浴びていると本当に体が疲れてしまうのです。毎日少しでも昼寝をして、体を休めなければ毎年夏を乗り切れません。

ところで、今日は大きな収穫がありました!ローマの図書館に注文していたカンタータの楽譜の内、特に今回入れたいヴィルジーリオ・マッツォッキの楽譜がなんとボローニャの隣街のモデナの図書館にあることが判明。実は、一昨日行ったのですが、ローマの図書館と違ってすぐその場でファクシミリからコピー出来るにもかかわらず、その時ファクシミリの機械が壊れていて、「今日中に直るかどうか分からない」と言われ(ほとほとコピーには縁がないのです。。。)、「じゃ、近いから2日後に取りに来ます」とお金だけ払って、今日それを受け取りに行ったのです。
この作曲家は、どちらかと言うとお兄さんのドメニコ・マッツォッキの方が知られていますが、ヴィルジーリオの方は当時サン・ピエトロ寺院のジュリア礼拝堂の楽長をしていて、そこの聖歌隊に厳しい音楽訓練を課し、優秀な歌手を多く育て上げたのです。このようにローマの歌手のレベルが高かったという事も、ローマで素晴らしいカンタータが多く作られた背景のひとつです。今回入手した彼のカンタータは、カンタータと言ってもレチタティーヴォとチャッコーナが交互に現れる大変面白い曲で、なかなか技巧的であり、当時は良く歌われていたそうです。
この曲の楽譜は当時の他の楽譜と同様に、複数の人による手稿譜が残されていたのですが、ローマの図書館にあった手稿譜は、他の数人の作曲家の30曲以上の作品と一緒にひとつの楽譜に収められていました。一方、モデナの図書館の楽譜は、1曲だけピースになっていて、しかも表紙には素晴らしいデザイン文字で題名が書かれています。ローマでは実際の楽譜ではなくファクシミリしか見れなかったのですが、モデナではこの楽譜を手にすることが出来ました。重々しい箱からこの楽譜を手にした時の感動と言ったら、もう手が震えそうでした。こちらの図書館でこういった珍しい楽譜に出会えたときは、長年探し求めていた愛しい人に会えたような大きな喜びを感じます。そして、こんな埃臭い図書館の中に埋もれていないで、早く音にして世に出してあげたい!と思うのです。
これらのコピー譜を手にして、私は昼下がりの西日の強さも気にせず、モデナの街をほくほく気分で歩いていました。

しかも、今日の昼食、食通の街ボローニャに住む私たちは実は隣街のモデナ料理をまだちゃんと食した事がなかったので、イタリアのスローフード社出版のレストランガイドを参考に、モデナの町中のレストランに行きました。そのレストラン、と言うよりエノテカ(ワイン屋)のようだったのですが、「メニュー・デグスタツィオーネ(試食メニュー)」があり、前菜1皿、プリモ2皿、セコンド1皿、デザート、コーヒーを28ユーロ(約3.500円)でいただきました。伝統的なモデナ料理というよりは、ちょっとモダンな感じでしたが、バルサミコ酢とランブルスコ(発泡性赤ワイン)で有名なモデナらしく、これらをふんだんに使った料理でした。どれもこれも本当に美味しかったのですが、特にセコンドの豚肉のランブルスコ・ソースは絶品でした。微妙な火加減で焼いただけという豚肉が中は柔らかいのに外側の皮がかりかりで、北京ダックにランブルスコ・ソースがかかっているような料理でした。デジカメを持参したにもかかわらず、食べるのに夢中で撮るのをすっかり忘れてしまいました。残念!でも、このレストランは私たち夫婦のレストラン・リストのかなり上位にランキングされました。

そして、その帰り道、さくらんぼの産地であるヴィニョーラという町に立ち寄り、周囲の農家が軒先で売っているさくらんぼを、モデナとボローニャの間にある「ストラーダ・ディ・ヴィーニ(ワイン街道)」のひとつのワイナリーで赤やら白やら発泡性やら食後酒やら様々な種類のワインを(ちなみに私は飲めません)買い、身も心も満たされて家路についたのです。

楽譜も食も大収穫!の1日でした。
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# by carissimi | 2005-05-27 08:19 | カリッシミ生誕400周年
チラシが出来ました!
ひと頃の気温の急な上昇にも慣れ、この2,3日は雨も降ったり曇りの日があったり、例年のボローニャの天気になったように感じます。でもこの時期、日本での杉花粉ならぬ、ポプラの綿が飛び、多くの人がそのアレルギーで苦しいんでいます。日本で空気中に飛んでいる杉花粉はほとんど見えませんが、こちらのポプラは、直径3,4センチの白い綿が大量に飛び交うのがはっきり見えます。風の強い日は家の中にまで入ってきますし、道路の上には雪のようにその綿が積もっています。アレルギーのない私もそれを見ていると、なんだか目がかゆくなりそうです。
そんな中、数日前、今年の夏の気象予想が出ました。一言で言うと「rovente 灼熱」。そして、天気は「variabile come le donne 女性のように変わりやすい。。。」(私は変わりやすいのは女性に限らないと思いますが)。特に私たちが住む中北部は32度から36度、一方、南のシチリア島は28度から32度の気温予想でした。やっぱり今年のヴァカンスはシチリアにしよう。。。

さて、今回のコンサートのチラシが出来ました。ローマのバロック建築を想わせるとても素敵なデザインです。実際にチラシを目にすると、「いよいよだな」と実感し、一層やる気が高まります。
どこかでこのチラシを見つけた方は、多めにお持ちになりぜひ周りの方にご宣伝下さい。

先日は、オラトリオ編の方でミラノ在住のメンバーとG.カプアーノ氏とで少しリハーサルをしましたし、カンタータ編もプログラムの最終決定に入りました。
ローマのカンタータは本当に数多くあるのですが、ほとんど出版譜にされておらず、それらの手稿譜もあちこちの図書館に散らばっているので、楽譜の入手が難しいのです。でも、調べれば調べるほど興味深い作品がたくさんあり、それらを今回のプログラムに絞り込むのが大変でした。
いくつかのローマの図書館に注文したカンタータの楽譜がなかなか届かないので、今回どうしても入れたいオラーツィオ・ミキ の楽譜だけでも入手しようと、先週直接ローマに行って来ました。しかし、入館手続き、楽譜の閲覧手続き、マイクロフィルムの閲覧手続きとさんざんいろんな書類に書き込んで、「やっと希望の楽譜が手にできる」と喜んだのもぬか喜び、「今日はコピー屋が来ていないからコピーは出来ない」と言われ、マイクロフィルムだけを見て泣く泣く帰りました。ボローニャの図書館も莫大な貴重な資料があることで有名で、手続きも大変分かりやすく、資料の閲覧もコピーの注文も割と簡単に出来ます。やはり同じ公立図書館でも、南の方になるといろいろ手間がかかるようです。とりあえず、コピー屋に催促のメールを出して、しばらく待つことにします。。。



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# by carissimi | 2005-05-23 18:25 | カリッシミ生誕400周年
カンタータ編
5月に入ったばかりというのに、こちらイタリアは最高気温が25度を超える夏のような暑さが続いています。テレビなどでは、もうヴァカンスの話題が出始め「さぁ、みなさん、この天気のうちに、ヴァカンスのリハーサルをしましょう!」なんて呼びかけています。本当に、この国の人たちはヴァカンスを楽しみにしているのですねぇ。ついこの前復活祭の休暇が終わったばかりなのに。
でも、私たちも一度はイタリア式のヴァカンスを体験してみよう、と3年前の夏の終わりに1週間(それでもこちらにしては短いのです)、サルデーニャ島に行きました。海近くのアグリトゥリズモに泊まり、朝はゆっくり起きて午前中いっぱい海で過ごし、午後は美味しい昼食と観光を兼ねていろいろな街(村)を巡り、夜は宿泊先で出会った人達とおしゃべりしながら郷土料理を楽しみ、食後は庭で自家製の食後酒をいただきながらみんなでギターを弾いたり歌ったり、という毎日を過ごしました。
そして、ボローニャに戻って、思いました。この国にはヴァカンスは必要です!1年仕事や諸事で酷使した脳を休ませ、夏の間透き通るような青い空からギンギンの太陽を直に浴びて疲れ切った体を癒し、新年度にあたる9月からまた気分を新たにがんばろう!という気になるのです。さぁ、今年はどこに行こうかな(おそらくシチリア島)。。。

ヴァカンスの話はさておき、急ですが、カリッシミ生誕400年記念に際し、オラトリオだけでなくカンタータのコンサートも開催する事になりました。というのも、これも主人とのイタリア・バロック音楽の日本での普及活動のひとつとして、2年前にイタリア・カンタータを取り上げる「ラ・カンタテリーア」なるグループを立ち上げ、第1回のコンサートをしました。が、2回目をしようと思いながらなかなか実現しなかったので、やはりカリッシミがオラトリオと並んで功績を上げたカンタータもこれを機会に取り上げ2回目をしてしまおう、とある意味強引に決めてしまいました。
1回目は「カンタータの産声」と称し、「カンタータ」と呼ばれる作品が生まれた17世紀初期ヴェネツィアの作曲家とそれらの作品を取り上げました。そして今回は、17世紀前半のローマにおけるカリッシミのカンタータまでの流れを見て行きたいと思います。7月5日(火)同仁教会にて19時開演です。ぜひ、そちらもオラトリオ編と合わせて、ご期待下さい。
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# by carissimi | 2005-05-03 08:35 | カリッシミ生誕400周年
ジャコモ・カリッシミ生誕400年記念コンサート
皆様、こんにちは!ソプラノの小池智子です。

来る7月22日におけるジャコモ・カリッシミ生誕400年記念コンサートの開催にあたり、お手伝いいただく音楽事務所アルケミスタの武田さんのご協力の元、このプログを開設する事になりました。

主人(テノール・櫻田亮)とのイタリア・ボローニャでの生活も早7年が経ち、我々のイタリアでの音楽活動を通じて、多くの素晴らしいイタリア人演奏家、またイタリア・バロック音楽の作曲家の作品に出会いました。

日本でも最近古楽がかなり普及してきたとは言え、レパートリーの多さからするとイタリア・バロック音楽が演奏される機会は世界的にもまだまだ少ないのが現状です。当時は近隣諸国からこぞって多くの音楽家がイタリアに勉強に来、またイタリア人音楽家が外国に出てイタリア音楽を広め、イタリアこそが当時の音楽の中心地であったにもかかわらず。。。

そこで、私と主人は「これらの素晴らしいイタリア・バロック音楽の作品や演奏家をもっと日本に紹介したい。そして、日本人の演奏家にも聴衆の皆様にもこれらに触れる機会を増やしたい。」と願い、様々なコンサートを企画しようと考えました。がしかし、あまりにも多い作品数。どのような形でやるか考えた末、まずは生誕や没後の記念の年に当たる作曲家を取り上げようと、2003年12月にはフランチェスコ・カヴァッリ生誕400年記念として、彼の代表的な宗教曲のコンサートを開催しました。

そして、今年2005年は、オラーツィオ・ヴェッキの没後400年、パオロ・クァリアーティ生誕450年、ジャコモ・カリッシミ生誕400年、フランチェスコ・ドゥランティ没後250年などに当たります。
その中で今年は、オラトリオの重要な作曲家であるジャコモ・カリッシミの宗教曲を取り上げ、イタリアで知り合った素晴らしい演奏家の一人であり、カリッシミ研究家であるジャンルーカ・カプアーノ氏を指揮に招聘する事となりました。

カプアーノ氏は、私たち夫婦が尊敬し信頼する音楽家の一人であり、大切な友人でもあります。そして日本人の共演者も、イタリアでバロック音楽を中心に活動し、我々同様日本でのイタリア・バロック音楽の普及を強く願う仲間達と日本の古楽界で活躍する仲間達です。

私たちの「Carissimi amici カリッシミ アミーチ( 親愛なる仲間達)」(カリッシミとは日本語で「親愛なる者達」の意)とお送りするカリッシミ生誕400年記念コンサート、ご期待下さい。

          ♪     ♪     ♪     ♪     ♪

このプログでは、カリッシミの生涯や作品、演奏曲目の解説、演奏者の紹介の他に、イタリア・バロック音楽界の私のお薦めの演奏家・作品・コンサート・CDなどもご紹介したいと思います。皆様のご意見・ご感想等もどしどしお寄せ下さい。

ちなみに、櫻田亮のプログも開設しました。そちらもぜひご覧下さいませ。
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# by carissimi | 2005-02-20 00:23 | カリッシミ生誕400周年
Carissimi Amici(親愛なる仲間達)プロフィール
♪カンタータ編

小池 智子(ソプラノ)
東京芸術大学声楽科卒業、同大学院オペラ科修了。平野民子、平野忠彦の両氏に師事。
モーツァルト「コシ・ファン・トゥッテ」のドラベッラ、「フィガロの結婚」のマルチェッリーナ、モーツァルト「レクイエム」、ベートーヴェン「第九」等のアルト・ソロを歌う他、バッハ・コレギウム・ジャパンのメンバーとして、数々のレコーディングや国内外のコンサートに参加。
1998年よりイタリアにて、古楽唱法をR.インヴェルニッツィ、イタリア・マドリガーレをR.ジーニ、またヨーロッパ各地の古楽講習会にて、G.バンディテッリ、 M.チャンス、M.フィゲーラスの各氏に師事。2001年よりソプラノに転向。
G.カプアーノ、S.バレストラッチ、B.ディッキー、O.ダントーネの各氏の指揮のもと、モンテヴェルディ「聖母マリアの夕べの祈り」、ヴィヴァルディ「グローリア」、「マニフィカート」、バッハ「マニフィカート」、マルティーニ「ラ・ディリンディーナ」、ガイアーニ「ドン・トラストゥッロ」等のソロをヨーロッパ各地で歌う。
2002年イタリア・ヴィニョーラ国際音楽コンクール古楽声楽部門入賞。ボローニャ在住。

櫻田 亮(さくらだ まこと)(テノール)
東京芸術大学声楽科卒業。同大学院修士課程修了。同大学院博士課程に学ぶ。1997年よりイタリアに留学。声楽を平野忠彦、R.ブルゾン、G.ファッブリーニ、W.マッテウッツィ、G.バンディテッリの各氏に師事。
W.サヴァリッシュ、T.コープマン、S.クイケン、F.ヘレヴェッヘ、O.ダントーネ、G.アントニーニ、A.マルコン、鈴木雅明等の各氏の指揮で、NHK交響楽団、読売交響楽団、サンタ・チェチーリア・オーケストラ、コレギウム・ヴォカーレ、ラ・プティット・バンド、アカデミア・ビザンティーナ、イル・ジャルディーノ・アルモーニコ、ヴェニス・バロック・オーケストラ、バッハ・コレギウム・ジャパン等と共演。
また、新国立劇場でのモーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」や、ロッシーニ「ラ・チェネレントラ」、モーツァルト「後宮からの誘拐」、モンテヴェルディ「ポッペアの戴冠」の他、2004年にはモンテヴェルディの生地クレモナにて「ウリッセの祖国への帰還」に出演。
第27回イタリア声楽コンコルソ・シエナ部門大賞受賞。2002年ブルージュ国際古楽コンクール第2位(声楽部門1位)受賞。二期会会員。1999年度文化庁派遣芸術家在外研修員。ボローニャ在住。http://cherryita.exblog.jp/

櫻田 亨(さくらだ とおる)リュート、テオルボ)
日本ギター専門学校、オランダのハーグ王立音楽院卒業。ギターを故高久慶三郎、リュートを佐藤豊彦の各氏に師事。滞欧中はオランダをはじめヨーロッパ各地でコンサート、CD録音に活躍。レパートリーに応じて各種リュート、テオルボ、アーリーギター等の多種の楽器を使い分け、ソリスト及び通奏低音奏者として活躍している。日本ギター専門学校非常勤講師。「ムジカ・エランテ」「ルストホッファース」メンバー。リュート&アーリーギターソサエティ・ジャパン、ジェネラルディレクター。「越谷バロックシリーズ」をプロデュース。

芝崎 久美子(チェンバロ)
国立音楽大学器楽学科及び桐朋学園大学古楽器科研究科を卒業。1989年第3回古楽コンクールで最高位に入賞、同時に栃木蔵の街音楽祭賞受賞。1991年より、オランダのアムステルダム・スウェーリンク音楽院に留学しチェンバロをG.レオンハルト氏に師事。2001年度文化庁派遣在外芸術研修員としてイタリアに派遣されミラノ、ベルガモで研鑚を積む。これまでにヨーロッパ各地の演奏会や国内の主要な古楽祭に数多く出演。1999年、2003年には古楽コンクールの審査員を務める。2001年にはソロCD「優しき嘆き」をリリース。通奏低音奏者としても、国内外の多くの演奏家と共演し、多彩な即興演奏による通奏低音は高く評価されている。

伊左治 道生(バロック・ヴァイオリン)
桐朋女子高等学校音楽科(共学)、桐朋学園大学演奏学科ヴァイオリン専攻卒業。2000年、東京芸術大学大学院古楽科バロック・ヴァイオリン専攻に入学。在学中に2年間の休学を申請し、デンハーグ王立音楽院、ミラノ市立音楽院などに在籍して研鑽を積む。帰国後復学し、2004年、東京芸術大学大学院古楽科修了。 現在、イタリア国立ノヴァーラ音楽院バロック・ヴァイオリン科に在籍。
モダン・バイオリンを宗倫安、小林健次、磯野順子、宗倫匡、バロック・ヴァイオリンを若松夏美、E.ガッティの各氏に師事。
渡欧中、イタリア古楽のグループ、「アッコルドーネ」、「アルコメーロ」等で演奏。
日本では、「レ・ボレアード」の一員として、バロック・オペラ「イポリートとアリシ」の上演に参加。また、所属グループの「ネーモ・コンチェルタート」においては1600年代からカンツォーネまでのイタリア音楽を世に広める運動に参加している。
2005年5月に「目白バ・ロック音楽祭」にてバロックバイオリン・リサイタルを開催。
ミラノ在住。

星野 麗(バロック・ヴァイオリン)
上野学園大学卒業。モダン・ヴァイオリンを扇谷瞳、佐藤良夫、大島晶子の各氏に師事。古楽奏法を故大橋敏成、バロック・ヴァイオリンを若松夏美、初期バロック音楽を濱田芳通の各氏に師事。
1998年よりミラノ市立音楽院古楽科に留学し、バロック・ヴァイオリンをE・ガッティ、O・チェントゥリオーニ、P・ヴァレッティ、アンサンブルをR・ジーニ、中世アンサンブルをP・メメルスドルフの各氏に師事し、2002年卒業。
帰国してからは、さまざまな古楽アンサンブル、オーケストラで活躍。2005年2月ソロリサイタルを行い好評を博す。「シンポシオン」、「なかなかや」メンバー。

♪オラトリオ編

長田 晶(ソプラノ)
広島県出身。エリザベト音楽大学声楽学科卒業後、同大学院修士課程を経て同大学院博士課程音楽学科声楽専攻満期終了。声楽を木原朋子、L.ベルタニョーリオ各氏に師事。大学院では、おもに近代イタリア歌曲の研究を行い、3回のリサイタルを開く。1997年よりイタリアに移住。数々のバロック音楽のコースに参加し、C.ミアテッロ女史、R.ジーニ氏、L.ギエルミ氏のもとで、1600-700年代イタリアバロック音楽の研鑚をつむ。ソリストとして、ヴェネツィア、パドヴァ、ミラノ、アーゾロのバロック音楽グループと数々の演奏活動を行う。2002年、ミラノのサン・マウリツィオ古楽祭、並びに、モデナのエステンセ古楽祭に参加。2004年には、ヴェネツィアのレーヴィ財団にて日本歌曲とバロック音楽のリサイタルを行う。最近はイタリアにおける日本歌曲のコンサート活動も各地で意欲的におこなっている。トリノ在住。

小池 智子(ソプラノ)
カンタータ編参照

穴澤 ゆう子(メゾ・ソプラノ)
東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。同大学院修士課程(オペラ科)修了。二期会オペラスタジオを優秀賞を得て修了。声楽を森晶彦、三林輝夫の両氏に師事。
「コシ・ファン・トゥッテ」ドラベッラ、「フィガロの結婚」マルチェッリーナ、「魔笛」侍女Ⅱ、「ディドとエネアス」ディド、「ヘンゼルとグレーテル」魔女、母親、「霊媒」ババ、「ばらの騎士」孤児、等のオペラ出演の他、コンサートにおいても、ベートーヴェン「第九」、モーツァルト「レクイエム」「戴冠ミサ」、ヘンデル「メサイア」、バッハ「ロ短調ミサ曲」「ヨハネ受難曲」「教会カンタータ」等数多くのアルト・ソロを務めている。
1990年〜2000年はバッハ・コレギウム・ジャパンに所属し、ソリスト、またアンサンブルの主要メンバーとして国内外でのコンサート、CD録音に参加。
2000年には文化庁派遣芸術家在外研修員として、オランダ・アムステルダムに留学。バロック期の歌唱法をペーター・コーイ、マックス・ファン・エグモント、ハワード・クルックの各氏に師事し研鑚を積む。
現在はフリーランサーとして、主に古楽系のコンサートを中心に活動している。

弥勒 忠史(アルト)
千葉大学卒業。同学大学院修了。東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。
1999年よりイタリア政府奨学生として渡伊。フィレンツェの古楽協会メロム・ アルメモ主催オーディションにて優勝。ヴェローナ国立音楽院バロック音楽オー ディション合格。ボローニャ市立歌劇場、フェッラーラ市立歌劇場、イズミール歌劇場、アンカラ歌劇場等、イタリアおよびヨーロッパ、トルコなどのオペラ、リサイタル、音楽祭に出演。
舞台俳優、演出家としても活動。声楽を中村健、G.バンディテッリ、C.ミアテッロの各氏に、演出学をA.ピッキ氏に師事。
トロヴァトーリ・レヴァンティ主宰。バルダンツァ(フェッラーラ)創設会員。2001-2003イタリア国立G.フレスコバルディ音楽院バロック声楽講師。TactusよりソロCD発売中 (Clavicembalo:S.Rambaldi)。 フェラーラ在住。http://levanti.hp.infoseek.co.jp/

櫻田 亮(テノール)
カンタータ編参照

長尾 譲(テノール)
1998年東京音楽大学大学院を声楽で修了。2003年ミラノ市立音楽院古楽科バロック声楽にてディプロマ取得。声楽を東敦子、篠崎義昭、野村陽子、音楽学を金澤正剛各氏に、バロック声楽をC.ミアテッロ、C.アンセルメ両氏に師事。R.ジーニ氏の下では初期イタリアバロックのレパートリーの研鑚を積む。
G.カプアーノ氏が指揮を勤めるマドリガリスティ・アンブロジアーノでは、カリッシミ作曲「ヨナの物語」「武装した男」両作品のCD録音と演奏会に参加。ヴァチカン市国聖ペトロ大聖堂において、修道女イザベッラ・レオナルダ没後300年を記念した演奏会で、ミサ曲第8番のテノールソロを務める等、イタリアにて演奏活動中。
2000年第一回ミラノロータリー財団声楽コンクール古楽部門第1位。
1998年ロータリー財団国際親善奨学金、2000年マルコ・フォデッラ財団奨学金獲得。2002年度文化庁派遣芸術家在外研修員。ミラノ在住。

萩原 潤(バリトン)
東京芸術大学声楽科卒業。同大学院声楽科修了。二期会オペラスタジオ修了。文化庁派遣芸術家在外研修員としてベルリン留学。ベルリン音楽大学「ハンス・アイスラー」の大学院を最優秀の成績で修了。
伊藤亘行、多田羅迪夫、P.ヴァリザー、H.レー、C.マイヤー、H.ポール、E.ショルツの各氏に師事。歌曲をM.ウルヴァノビッチ女史、また、古楽をP.コーイに師事。
2000年7月、ドイツの「ラインスベルク音楽祭」に出演。500名の中から『セビリャの理髪師』のフィガロに選ばれ、マスコミ各紙に絶賛された。10月には、ブランデンブルク劇場でヘンデルの『クセルクセス』アリオダーテ役に出演し、翌2001年にはオペラ・ガラコンサートに出演しベルリン国立歌劇場管弦楽団と共演、好評を博す。国内においては、2002年7−8月には二期会創立50周年記念『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の大役ベックメッサーで出演を果たし、12月新国立劇場・二期会共催『ナクソス島のアリアドネ』ハルレキン役を好演。05年3月には二期会公演『魔笛』のパパゲーノで出演し、演技、歌唱ともに高い評価を得た。
また、日本滞在時よりバッハ・コレギウム・ジャパンのメンバーとして国内外の多くのコンサートや録音にも参加している。
2000年文化庁派遣芸術家在外研修員。2003年五島記念文化財団オペラ新人賞受賞。ベルリン在住。

小田川 哲也(バス)
東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。同大学院修士課程オペラ科修了。二期会オペラスタジオ修了。修了時に優秀賞を受賞。
プッチーニ「ラ・ボエーム」のコッリーネ役でオペラデビュー。モーツアルト「フィガロノ結婚」「ドン・ジョヴァン二」「コジ・ファン・トゥッテ」「魔笛」、ヴェルディ「椿姫」「マクベス」「仮面舞踏会」、ビゼー「カルメン」、ワーグナー「タンホイザー」、ニコライ「ウインザーの陽気な女房たち」など数多くのオペラに出演。
またバッハのカンタータ、受難曲、モンテヴェルディ「聖母マリアの夕べの祈り」
ヘンデル「メサイア」、モーツアルト「レクイエム」のバスソロを務めるなど宗教曲を中心にコンサートでも活躍している。
二期会会員。日本声楽アカデミー会員。

益田 弥生(バロック・ヴァイオリン)
大阪音楽大学卒業。モダン・ヴァイオリンを東儀幸、故篠原芙美子、宗倫匡、バロック・ヴァイオリンを若松夏美、大塚まゆみ、寺神戸亮の各氏に師事。また、ヨーロッパ各地の講習会で、F.フェルナンデスに学ぶ。同大学の助手を務めた後、1998年よりミラノ市立音楽院古楽科にてバロック・ヴァイオリンをE.ガッティ、O.チェントゥリーニ、室内楽をL.ギエルミ、L.アルヴィーニ、R.ジーニに学び、2002年卒業。
2001年には、C.ルセ指揮「オーケストラ・アンブロネ」にてコンサート・ミストレスとしてフランス各地で演奏。また、E.ガッティ指揮「アンサンブル・アウローラ」、O.ダントーネ指揮「アカデミア・ビザンティーナ」、A.カーティス指揮「イル・コンプレッソ・バロッコ」などとヨーロッパ各地で演奏。ミラノ在住。

伊左治 道生(バロック・ヴァイオリン)
カンタータ編参照

西澤 央子(バロック・チェロ)
東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校を経て、同大学器楽科を卒業。チェロをヴァーツラフ・アダミーラ、三木敬之、レーヌ・フラショの各氏に、またオルガンを鈴木雅明氏、バロック・チェロを鈴木秀美氏に師事。現在、フリーのバロック・チェロ奏者として、日本の主要なバロック・アンサンブルに数多く参加。また初期バロックを得意とするアンサンブル<メディオ・レジストロ>のメンバーとして,5弦のチェロや小型のヴィオローネを用いてバス楽器の可能性を追求している。

西澤 誠治(コントラバス、ヴィオローネ)
札幌市生まれ。東京芸術大学音楽学部卒業、同大学院修了。コントラバスを林雄一、故江口朝彦の各氏に、室内楽を巖本真理弦楽四重奏団に師事。東京シティ・フィル首席奏者を経て、現在、読売日本交響楽団団員。これまでにピアノのパネ・フェビアン・レザ、フォルテ・ピアノの小倉喜久子、ヴァイオリンの篠崎史紀らの共演を得て、数度のリサイタルを行うほか、モーツァルトのバス・アリアを東京シティ・フィル、オーケストラ・シンポシオンなどと共演。また、オリジナル楽器にも造詣が深く、ヴィオローネ奏者としてバッハ・コレギウム・ジャパン、東京バッハ・モーツァルト・オーケストラ、オーケストラ・リベラ・クラシカなどに参加している。

ジャンルーカ・カプアーノ(指揮&オルガン)
1968年ミラノ生まれ。ミラノ国立音楽院でオルガン・作曲・オーケストラ指揮法を学んだ後、上級コースで合唱指揮法、ミラノ市立学校古楽科にて古楽演奏法、典拠研究と記譜法を学ぶ。
ミラノのサン・シンプリチアーノ教会オルガニスト(アーレント・オルガン)。指揮者、オルガニストとして精力的な活動を行う他、通奏低音奏者としても多くのグループと共演。
1997年よりルネッサンスからバロック時代のヨーロッパ音楽をレパートリーとする声楽アンサンブル「イ・マドリガリスティ・アンブロジアーニ」芸術音楽監督。その活動はヨーロッパの様々な古楽誌に取り上げられた他、2003年6月に音楽誌アマデウス、11月にストラディヴァリウス・レーベルからジャコモ・カリッシミの作品を取り上げたCD を発売。ミラノのカリッシミ協会マヌサルディ資料館音楽責任者。
また、イタリアやフランス各地の講習会でポリフォニー音楽を指導。
音楽研究の他に、ミラノ国立大学を理論哲学で卒業。特に音楽美学を専門とし、2002年11月には音楽と文体との関係を哲学的視点から研究した評論「無限的声の記号」をJaca Book社から出版。
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# by carissimi | 2005-02-09 00:27 | カリッシミ生誕400周年
ジャコモ・カリッシミ (Giacomo Carissimi )
*生涯

1605年ローマ近郊マリーニ生-74年ローマ没

樽屋の末子として生まれたジャコモ・カリッシミの生涯には不明の点が多い。1623年から25年までにローマのテヴォリ大聖堂の合唱団員、27年まで同大聖堂のオルガニスト、28年から29年にアッシジの聖ルフィーノ大聖堂の楽長などを務めた後、1630年にローマのイエズス会修道士学校のコッレージョ・ジョルマニコ(ドイツ学院)の楽長として呼ばれ、生涯その地位に留まる。
この学校は、16世紀末から反宗教改革の最も重要な拠点のひとつで、その楽長の地位も大変尊敬されていた。彼は、付属する聖アポッリナーレ聖堂で学生や少年聖歌隊の教育や自分の音楽活動に生涯にわたって従事する。 43年にヴェネツィアの聖マルコ大聖堂で、モンテヴェルディの後継者になる話や、その4年後にオランダの統治者ハプスブルグ家のヴィルヘルム大公のブリュッセル宮廷楽長の話など、魅力ある他の職を断っていることから、この学校には満足していたと考えられる。

37年に司祭となり、56年には当時ローマで音楽の重要なパトロンの一人であったスウェーデンのクリスティーナ王女から宮廷楽長の称号を授かった。
楽長や作曲家としてのカリッシミに関する資料はほとんど残っていないが、1650年から60年にかけて至聖十字架オラトリオ会での演奏にカリッシミが頻繁に通っていたという証拠があり、その活動を通じて、オラトリオの祖とされるフィリッポ・ネーリ(1515-95)のオラトリオ会と直接的な関わりを持った。

彼は、大変質素に暮らしており、そのおかげで人に金を貸して利益を得ることが出来た。ローマで職を得た時は資産を持たない職人の子であったが、晩年は裕福に暮らした。


*音楽

現存しているカリッシミ自身による手稿譜は1点しか残されていない。従って、彼の作とされる作品のどれだけが真作であるか判断するのは大変難しい。が、多数残る筆写譜から、彼の作品は、カンタータと呼ばれる世俗的な室内声楽曲とミサ曲やモテット、オラトリオなどの宗教曲に大きく分けられる。

カリッシミは、ルイジ・ロッシに次いでローマにおけるカンタータの発展に大きく貢献した。彼のカンタータの形式は、レチタティーヴォとアリア(ダ・カーポ形式やロンド形式、あるいは有節形式)、アリア、有節変奏、アリオーゾなど多様である。その書法は単純でシラビックであるが、時折歌詞によって特別な和声的効果をもたらした。
やがて、カンタータはこれらのカリッシミの通奏低音のみを伴う自由な形式から、レチタティーヴォとダ・カーポ形式を持つアリアという形式を取り、スカルラッティやストラデッラなどの後継者に受け継がれていく。

カリッシミの作であることが確実なミサ曲は、わずかしか残されていない。それらの多くは、「第7旋法 Missa septimi toni 」のように伝統的な複合唱形式で書かれている。一方「いくつかの歌および5声部と9声部のミサ曲 Missa a quinque et a novem cum selectis quibusdam cantionibus」は、同一リズムの合唱部分とより自由な小編成の部分とが交替する、当時としては新しいミサ・コンチェルタートの形式を取っている。

カリッシミのモテットの大部分は、ミサや晩課などの典礼において歌われただけでなく、修道会の集会やコッレージョ・ジョルマニコなどの私的な宗教音楽として典礼以外の機会にも歌われた。
たいていは少数声部のための作品で、独唱者による演奏に適している。それらのほとんどは、ヴィアダーナやG.F.アネリオなどの作品に見られる短い1楽章で、歌詞の小部分ごとに模倣していく伝統的な模倣技法ではなく、変奏された諸声部やモノディー的な短い独立したフレーズの反復による複雑な構造を持っている。

カリッシミのオラトリオは礼拝堂で聖週間(受難節)の前の時期に演奏するために作曲された。それらに付けられている「オラトリウム Oratorium」あるいは「イストリア Historia」というタイトルは、1640年代に用いられたが、カリッシミ自身がこの用語を用いたかどうかは明らかではない。
それらのテキストは、イタリア語による物とラテン語による物があり、ラテン語オラトリオの多くは主に旧約聖書を題材としている。
彼のオラトリオの大きな特徴は、テスト testo やイストリクス Historicus と呼ばれる語り手の存在である。 これらの歌詞は、何人かの歌手に交互に割り当てられ、時には合唱に割り当てられる。
音楽に関してする特徴は、独唱部分と合唱の対比である。モノディーの部分は言葉のアクセントだけに従い、単語の意味によって感情内容を音楽表現したり、歌詞を際だたせたりするために、モンテヴェルディのレチタティーヴォ形式に見られるように、不協和音や跳躍進行、装飾音などを使用している。
レチタティーヴォとアリア的な部分は、間に移行部を介さず交互に現れる。ここには17世紀後期のオペラに見られるようなレチタティーヴォとアリアの明確な分離はない。
合唱は、瞑想と訓戒と語りの要素として筋の進展を叙情的に描写し、作品を高揚させる役割を持ち、作品設計に不可欠と言える。その単純な和声と正確なリズムを持つホモフォニックな書法によって、歌詞が明確になっている。
彼のオラトリオでは、それまでの例えばカヴァリエーリの代表作「霊と肉の劇」(1600)のように、登場人物が次々舞台に登場して、モノディー風にドラマを演じるという宗教的オペラの性格を持つ物ではなく、目に見える舞台や衣装を持たずに純粋に演奏会形式で、聞き手の想像力に訴えかけながら歌い手はどんな役割も自由に演じた。より音楽という手段で信仰を信者たちに近づきやすいものとし、反宗教改革の精神にのっとった新しい宗教音楽のレパートリーを作りたいと考えていたイエズス会の目的を満足させた。

こうしてオラトリオは確立され、その劇的な表現力はイタリアのみならず各国で独自の発展を見ることになった。
楽長や教師としての活動により、彼の音楽はチェスティ、A.スカルラッティやステッファーニら後生の音楽家によって受け継がれる。また聖アッポリナーレ教会のオルガニストであったG.P.コロンナは楽長カリッシミから学び、後にボローニャでの長年に渡る指導により、ボローニャにおける宗教音楽の発展をもたらした。
フランスでは、カリッシミに1650年代初期に3年間学なんだとされるマルカントワーヌ・シャルパンティエが、その音楽様式を母国に伝えた。カリッシミの死後、ラテン語オラトリオを書いたのはシャルパンティエひとりであった。
イギリスではのちのヘンデルのオラトリオにも影響を与えることになる。
また、ドイツではオラトリオの一変種である、キリストの受難の物語をテキストとする受難曲(パッション)の発達を促すことにもなった。


*代表作品

いくつかの歌および5声部と9声部のミサ曲 Missa a quinque et a novem cum selectis quibusdam cantionibus
ミサ「高き舟端より船綱を解き Sciolto havean dall'alte sponde」
オラトリオ「エフタ Jepfte」「Jonas ヨナ」
     「ソロモンの裁き Judicium Salomonis」
教会コンチェルト集 Sacri concerti musicali
モテット「主に向かって歌え Cantate Domino」
    「エレミアの哀歌が始まる Incipit Lamentatio Jeremiae」
カンタータ「安んじたまえ、我が心 Consolati, cor mio」
     「マリア・ディ・スコーツィアの嘆き Il Lamento di Maria di Scozia」                                             
     「おお、今はただ泣きたまえ Piangete, ohime' piangete」
     「私の命を奪っておくれ Toglietemi la vita」
     「勝利だ、我が心 Vittoria, mio core」
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# by carissimi | 2005-02-09 00:25 | カリッシミ生誕400周年